■ 慎んでご冥福をお祈りいたします。
2006年 05月 31日 |
各界の大物が相次いでこの世を去っていった。
貴重な日本の財産が失われるというのは非常に悲しいことだ。
及ばずながら、慎んでご冥福をお祈りします。





作家・米原万里さん急死…56歳、卵巣がんで
Excite エキサイト : ニュース

軽妙なエッセーやテレビのコメンテーターで知られる作家の米原万里さんが25日午後1時12分、卵巣がんのため死去していたことが29日、分かった。56歳だった。葬儀・告別式は27、28日に親族のみで営まれた。後日「友人葬」を行う予定。

 日本共産党所属の衆院議員だった父・米原昶(いたる)氏(故人)の仕事の関係で、少女時代を旧チェコスロバキアのプラハで過ごした。東京外語大、東大大学院でロシア語を学び、同時通訳に。その体験をつづったエッセー「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」で平成7年に読売文学賞、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

 テレビのコメンテーターとしても活躍。ロシア語通訳協会会長。作家の井上ひさしさんは義弟にあたる。

 最近はサンデー毎日で「発明マニア」と題したエッセーを連載していた。


ファンファン 岡田真澄さん死去
Excite エキサイト : 芸能ニュース

映画、テレビ、ミュージカルと幅広く活躍し、ファンファンの愛称で親しまれた岡田真澄(おかだ・ますみ)さんが29日午前4時5分、食道がんのため東京都内の病院で死去した。70歳。昨年6月に食道がんが見つかり手術。一時回復し、芸能活動を再開したが、体調を崩し療養していた。密葬が同日、港区の教会で近親者のみで営まれた。お別れの会が6月2日午前10時から港区南青山の青山葬儀所で。喪主は妻恵子(けいこ)さん。

 バラエティー番組や「ミス・インターナショナル世界大会」の司会役などで活躍、63歳の時にはパパになって話題を提供した岡田さんが帰らぬ人となった。

 所属事務所によると、昨年6月の食道がん手術後、仕事を再開できるまでに回復したが、秋にリンパ節への転移が認められた。このため、日本テレビ系のクイズ番組「サルヂエ」や出演を予定していたミュージカル「グランドホテル」を降板。療養に努めてきたが、29日未明、家族にみとられて静かに旅立った。

 同日夜には港区の自宅に近い教会で親族だけで密葬が営まれ、兄の故E・H・エリックさんの娘で、めいにあたる岡田美里(44)も参列した。

 52年に日劇ミュージックホールで初舞台。同年、第6期東宝ニューフェイスに合格し、2年後に日活に移籍して「初恋カナリヤ娘」で映画デビューした。石原裕次郎主演の「狂った果実」や「幕末太陽伝」「嵐を呼ぶ男」などに出演し、彫りの深いエキゾチックな二枚目スターとして活躍。100本以上に出演する一方で、鳳蘭(60)と共演した「ファニー・ガール」(80年)など、ミュージカルやテレビドラマ「マグマ大使」の父親役でも人気を呼んだ。

 私生活でもプレーボーイとして有名で、60年にパントマイムのヨネヤマ・ママコと2年間の期限つき結婚を発表。62年には女優の瑳峨三智子と婚約したものの2年後に解消。72年に結婚した女優の藤田みどり(59)とは3児をもうけたが、94年9月に離婚。翌95年に日航客室乗務員だった26歳年下の恵子夫人と再婚して元気なところをみせた。98年10月に女児に恵まれ、当時63歳のパパに「待ちに待った贈り物。愛はバイアグラを超えた」の名言も残した。

 事務所は「予後のことを十分認識しながら、今までと変わることなく強く優しく在り、周囲の者に新たな力を与えての旅立ちでした」と説明。ただ、7歳に成長した愛娘の朋峰(ともみ)ちゃんのことを最後まで気にかけていたという。


二枚目俳優の岡田真澄さんが食道がんのため70歳で死去
Excite エキサイト : ニュース

岡田眞澄さん死去、70歳食道がん
Excite エキサイト : ニュース

無念“降板”岡田真澄さん死去…70歳、食道がん
Excite エキサイト : ニュース

岡田真澄さんバラ手に天国へ
Excite エキサイト : ニュース

岡田眞澄さん最後までダンディーに…しめやかに密葬
Excite エキサイト : ニュース

岡田眞澄さんタキシードに赤いバラ
Excite エキサイト : ニュース


“世界の巨匠”今村監督逝く
Excite エキサイト : ニュース

「楢山節考」「うなぎ」でカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を2度獲得するなど世界的に知られた映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)氏が30日午後3時49分、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため東京都内の病院で死去した。79歳。東京都出身。重いテーマの中に笑いを込めた作風は“重喜劇”と呼ばれ、海外にも多くのファンを持つ巨匠だった。92年に一度映画化を断念した「遊郭の少年」を最後まで気にかけながら静かに映画人生に幕を下ろした。

 黒澤明監督もなしえなかったカンヌ2度制覇。日本が世界に誇った巨匠が静かに逝った。悲報を知り、病院には北村和夫(79)小沢昭一(77)ら早大時代からの仲間が慌ただしく駆けつけた。北村は、1週間前に見舞ったのが最後となり「今は(何も)話したくない」と沈痛な面持ちで口を閉ざした。

 眠りについた今村監督は、午後6時40分に東京・渋谷区の自宅に無言の帰宅。同9時すぎに長男で映画監督の天願大介(46)が取材陣に対応した。長年の糖尿病で足腰が弱り、しばらく車イス生活を送っていたという今村監督。4月11日に風邪をこじらせて入院し、ここ1週間ほどは呼びかけにも「うん」「うん」とうなずく程度。食事も満足に取れないまま、昭子夫人(72)にみとられながら眠るように息を引き取ったという。

 天願監督は「昨年6月に大腸がんが見つかり手術しましたが、3カ月後に肝臓に転移しているのが分かった。そのときは手の施しようがありませんでした。大腸がんは本人にも告知しましたが、転移は黙っていました」と話した。「大食漢でしたので、何かうまいものを食べさせてあげたかったが、それもできなかった。ただ、4月に入院する少し前に母親(昭子夫人)と足柄(神奈川県)に桜を見に行き、とてもご機嫌だったそうです」と静かに語った。

 病にあっても、創作意欲は少しも衰えていなかった。「黒い雨」(89年)から3年後、映画学校の校長をやめてまでも1本の作品を作ろうとしたことがあった。売春防止法施行で赤線の灯が消えていく時代背景の中で、新宿の遊郭に育った少年がやがてゲイバーでホモになっていた――という話だ。天願監督は「心残りと言えば、これかもしれない」としんみりした。

 「鬼の今平」と呼ばれるほど厳しい演出家ではあったが、多くの役者たち、映画学校の学生たちから愛された。人間の業や欲望を描き続けた“今平イズム”は今後、教え子たちに受け継がれる。


「鬼の今平」教え子にも衝撃
Excite エキサイト : ニュース

カンヌで2度のパルムドール受賞の“巨匠”今村昌平氏逝く
Excite エキサイト : ニュース

映画監督の今村昌平さん死去
Excite エキサイト : ニュース

[PR]